* 第6回研究会報告【演奏行為に内在する身体性              ーティエリー・ドゥ・メイを中心にー】

 

・日時:平成26年11月20日(木)18:00〜20:30
・場所:愛知県立芸術大学博士棟 演習室


・テーマ :「演奏行為に内在する身体性 ーティエリー・ドゥ・メイを中心にー」

 

 司会:牛島
 

 書記:高山、牛島


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【当日の様子】


晩秋の愛知県立芸術大学は紅葉美しく素晴らしい景観ですが、とにかく寒い。

夕方からの開催に集まってくださった参加者の皆さんも、「寒い寒い寒い」と言いながらドア内に滑り込んで来ました。温かいコーヒーを飲みながらの議論はしかし、いつも以上に白熱し・・・気がつけば終了時間オーバー!充実し、盛り上がった会となりました。

【研究会の進行】

①”Table Music”の鑑賞

②”Table Music” の楽譜の確認

③ティエリーのインタビューから、作曲における思考の確認
④複数の異なる演奏家による演奏動画を鑑賞
⑤”Silence must be”、および ”Light music”の動画鑑賞

⑥振付けされた”Salut” の鑑賞 
⑦本来の”Salut” の演奏動画の鑑賞

①”Table Music”の鑑賞

■”Table music”をまず音のみで聴く。その後動画の鑑賞

■音のみでの鑑賞を通じて、リズム面、音響面から作品を考察
https://www.youtube.com/watch?v=RgZW9cwwl_o

【感想】
・音だけ聴いていても、演奏している手の形が想像できる。
・音それ自体に、手の動きの要素(速さや形)も含まれている。

 


②”Table Music” の楽譜の確認

■手の動きがどう記譜されているか、3つほど説明

■楽譜を見ながら、音楽の構造と動きがどう対応してるかを分析。その後、作品の構造を確認

 


③ティエリーのインタビューから、作曲における思考の確認

<ティエリーの言葉より>
・10代のときにベルギーの映画学校の先生に影響されたのがきっかけで、映画と音楽へと両方に関心が向いた。
・私はリズムのコンビネーションにとても興味がある。巨大なリズムのアルゴリズムのコレクションを作っている。
・”Table music”は、手のためのバレエです。これは序曲、ロンド、フーガ、ギャロップ、再現部、コーダと共にバロック組曲のように構成された。

・全てのリズムの対位法は私がダンサーに正確に隠喩的に形容した限られた数のフィギュアを使っている。ボルタ、タイピスト、ワイパー、ピアニスト、フリック、ポイント等(私はこれらを個人的な用語集に集め、名付ける習慣を続けている。)

④複数の異なる演奏家による演奏動画を鑑賞

https://www.youtube.com/watch?v=0n2qWeMLqKc
https://www.youtube.com/watch?v=J91emaxq0iY
https://www.youtube.com/watch?v=bOTs7JQzwH8

■演奏・身体の動きに関して話し合う。(作品の演出・振付け面を考察)
・奏者によって音響もだいぶ違っている
・動きだけでみるとrosasとの関連性がある。(シンプルで無機質な動きである。)

■タイトルについて歴史的観点からの考察
・テーブルの音楽というタイトルでは今までにも色々な作品があり、それらへの返答とも言える。(モーツァルトのtable music、テレマンの食卓の音楽、メンケの食卓の音楽、池田拓実さんのテーブルの音楽など・・)


【感想】
・3者3様、同じ楽譜なのに目指しているところが全く違う。

(視覚的な効果の違いは音楽のそれとの違いより大きい)
・そもそもダンスが記譜を求める必要性とは?

 →口伝しか出来ないことの不自由性、著作権に関する問題
・それぞれの文化にはそれぞれの「身体」がある。例えば、フラメンコダンサーの身体には、フラメンコ独特のリズム感が染み付いている。しかし、単にリズム感の良さだけ追求するならば、もしかしたらフラメンコダンサーは他の文化に属する人々より抜きん出ているものがあるかもしれない。
・ドゥ・メイは、どんな「身体」に演奏されることを希望していたのかという疑問。
・この作品の演奏には、演出家、監督の存在が必要ではないか。
 →演出しないとこの作品の持つ美しさが確保出来ないのか?演出を追求していけば、美しさに辿り着けるのか?
 →演出の仕方によって、洗練された舞台にも、宴会芸にもなりかねない。また演奏の場によっても、ベストの演奏は変わってくる。
・ドゥ・メイは記号以上の演出について書いていない。書かないことで演出の余地を残してあるのでは。
・演奏はスコアを意識してなされるべき。更に当然、演奏する3人がそれぞれのモティーフの手の形、手を上げる高さなど、細かい点まで共有し揃えて行わなければ、リズム構造を耳と目で楽しむことは出来ない。
・より良い演奏に伴う動きは美しい。
・身体的に最も無駄なく合理的な演奏が、見た目の美しさにおいても突出するものがある。
 →しかし、「手のためのバレエ」と公言されている以上、手の動きをオーバーに演出して行うことをダメだと排除出来るだろうか?(”バレエ=動きを演出できる”なのか?)
 →Rosasの作品などは、ごく切り詰められたシンプルな動きでダンスを構成している。感情より構造が重視されているが故の美しさ。
 →この作品の美には「組み合わせ」の構造も含まれる。
・作品中の動きの形に「サンダー(雷)」と名付けられたものがある。これを無機質に演奏して良いのだろうか。どこまで”サンダー”のイメージを持って演奏させたいのか。

 

 

⑤”Silence must be”、および ”Light music”の動画鑑賞

https://www.youtube.com/watch?v=Hisk8lkB-D4

<”Light Music”のヴィデオの中のディメイのインタビューより>

・動きは音楽の心臓である。

・聴覚障害者の人のサインを取り入れた。人々はその意味を知る必要はない。


・この作品では奏者の動きをカメラが捉えて、その動きを映像で映し出す仕組みになっている。


・私はこの重たいテクノロジーと対峙するために音楽のためのシナリオのようなものを作った。強い詩的なものが必要だった。

【感想】
・(実際に舞台で鑑賞した経験のある者より)この作品は映像で見るのが一番良いように思う。舞台でやると手の動きが繊細すぎて、あまり映えない気がする。
・”Light Music”では動きをカメラがとらえて映像として映し出すので、舞台用の作品としてもっと意識されている。



⑥振付けされた”Salut” の鑑賞 
■振付師の視点からみる、演奏行為のダンス性を指摘

 

 

⑦本来の”Salut” の演奏動画の鑑賞
■⑥の元になっている作品の、本来の演奏風景を確認。

【感想】
・音楽演奏に内在する身体性・視覚性に、振付師が注目したことが面白い。
・振付された作品は、本来の演奏の動きがデフォルメされて、より視覚的に、ダンサブルに構成されている。
・音楽と視覚性の関係性に、一石を投じる作品であると感じる。

 

 

*最後に、今回残念ながらご不在であった顧問の久留先生からの映像スコアについての考察に関するコメントをいただき、映像を用いてのパフォーマンスについて意見交換がなされました。

 


 

(文責;高山)